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東京地方裁判所 昭和42年(行ウ)197号 判決

埼玉県与野市大字鉛谷八七七

原告

吉田トキ

右訴訟代理人弁護士

荒川晶彦

東京都杉並区東田町一の六二

被告

杉並税務署長 内藤近義

右指定代理人

陶山博生

大楽庄

庄子実

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者が求めた裁判

一、原告

被告が昭和四〇年九月一五日付で原告に対してした昭和三八年分所得税更正のうち所得税額二五二、四三〇円をこえる部分および過少申告加算税賦課決定のうち過少申告加算税額一、四五〇円をこえる部分を取り消す旨の判決

二、被告

主文第一項と同旨の判決

第二  主張

一、原告

1  請求原因

(一) 本件処分の経緯

原告は、昭和三九年三月一六日、昭和三八年分所得税について、事業所得一八七、七五九円、雑所得一、三八一、九六八円、所得税額二二二、六〇〇円とする確定申告をしたところ、被告は原告の申告にかかる雑所得は事業所得であり、また、原告にはほかに申告もれの事業所得二、一一八、四七四円があるとして、昭和四〇年九月一五日付で、事業所得三、六八八、二〇一円、雑所得なし、所得税額九七八、八四〇円とする更正および過少申告加算税額三七、八〇〇円の賦課決定をした。

(二) 原告の所得金額

しかし、原告の昭和三八年分の事業所得は、原告が申告した一八七、七五九円、雑所得から事業所得に更正された一、三八一、九六八円および申告もれの九九、四七四円の合計一、六六九、二〇一円である。被告が申告もれの事業所得として認定したその余の二、〇一九、〇〇〇円は、後記のとおり、事業所得ではなく、譲渡所得とされるべきものであつて、租税特別措置法の規定の適用により、これによる課税所得は生じない。また、原告には、他に所得はない。

(三) 結論

したがつて、原告の昭和三八年分の総所得金額は一、六六九、二〇一円であり、これを基礎として算出される所得税額は二五二、四三〇円となり、この金額と原告の申告税額との差額を基礎として算出される過少申告加算税額は、一、四五〇円となるから、被告がした更正のうち所得税額二五二、四三〇円をこえる部分および過少申告加算税賦課決定のうち過少申告加算税額一、四五〇円をこえる部分は違法である。

2  被告の主張に対する認否および反論

原告が被告主張の場所で文房具商を営んでいたところ、被告主張の事業のための用地買収に伴い、店舗を他に移転しなければならなくなり、これにより東京都から昭和三八年中に補償金の支払いを受けたことおよび右補償金のうち、二、〇一九、〇〇〇円は、東京都が原告に対して得意喪失補償金という名目で支払つたものであることは認めるが、右補償金が事業所得に当たることは否認する。  原告は、東京都との間の補償金額についての折衝において、工作物補償、動産移転補償、営業補償等の個々の補償項目ごとに承諾したものではなく、総額について折衝のうえ妥結したにすぎない。

また、東京都が付した補償項目の名称は、必ずしもその実質と符合しない。原告が支払いを受けた得意喪失補償金の中には、原告の借家権に対する補償その他対価補償の実質を有するものが含まれている。

「得意」は、営業の人的物的組合せの合理性または顧客関係の有利性その他の無形の利益源であつて、「のれん権」とも呼ばれ、その営業を組成する個々の財産の価値の合計額をこえる価値であり、営業権の一要素である。これは、無形固定資産の一種であつて、昭和四〇年政令第九六号による改正前の所得税法施行規則(以下「旧所得税法施行規則」という。)第七条の一一第三項に規定する譲渡所得の基因となるべき資産に当たる。原告に対して支払われた得意喪失補償金は、原告が右「得意」の消滅につき一時に受けた収入金であつて、前示条項によつて譲渡所得とされるものである。

二、被告

1  請求原因に対する認否

原告の請求原因(一)記載の事実は認める。

同(二)記載の事実中、被告が事業所得として認定した二、〇一九、〇〇〇円が譲渡所得とされるべきものであつて、租税特別措置法の規定の適用により、これに課税所得は生じないとの点は否認する。

2  被告の主張

原告の昭和三八年分の事業所得の金額は、原告が自認する事業所得合計一、六六九、二〇一円に、原告が東京都から同年中に支払いを受けた得意喪失補償金二、〇一九、〇〇〇円を加えた総計三、六八八、二〇一円である。

すなわち、原告は、東京都杉並区堀の内一丁目四六番地において文房具商を営んでいたが、東京都の都市計画事業環状七号線街路築造工事のための用地買収に伴い、店舗を他に移転しなければならなくなり、これにより東京都から昭和三八年中に、営業補償の一部として、得意喪失補償金二、〇一九、〇〇〇円の支払いを受けた。

右得意喪失補償金は、原告が営業を休止し、店舗を他に移転しなければならなくなつたことにより、従来の得意先を喪失する結果、移転先で営業を再開しても、従来と同程度の得意先を回復するまでの間収益が減少すると考えられるところから、原告が営業を休止し、または店舗を移転しなければ本来得られるであろう収益との差額を営業再開後従前と同程度の得意先が確保されるに至るとみとめられるまでの期間について、原告に対して補償するために支払われたものであり、旧所得税法施行規則第七条の一一第一項に規定する事業所得の収入金額に代わる性質を有するものに当たるから、同条項によつて事業所得とされる。

そうすると、原告の昭和三八年分の総所得金額は、右事業所得金額総計三、六八八、二〇一円であるから、被告がした本件更正および過少申告加算税賦課決定には、原告主張の違法はない。

第三  証拠関係

一、原告

1  提出した書証

甲第一号証から甲第三号証まで

2  援用した証言

証人嶋津敏彦、同伊藤誠および吉田正男の各証言

3  乙号証の成立についての認否

いずれもその成立を認める。

二、被告

1  提出した書証

乙第一号から乙第五号証まで、乙第六号証の一から一〇まで、乙第七号証から乙第九号証まで

2  援用した証言

証人前沢保利および同嶋津敏彦の各証言

3  甲号証の成立についての認否

甲第一号証の成立は知らない。甲第二号証の成立は認める。甲第三号証中、補償額明細の記載部分の成立は知らないが、その余の部分の成立は認める。

理由

一、本件処分の経緯

原告の請求原因(一)記載の事実は、当事者間に争いがない。

二、原告の所得金額

1  争いのない所得金額

昭和三八年中に原告に次の合計一、六六九、二〇一円の事業所得があつたことは、当事者間に争いがない。

(一)  原告が事業所得として確定申告した一八七、七五九円

(二)  原告が雑所得として確定申告した所得で、被告が事業所得と更正した一、三八一、九六八円

(三)  原告が申告しなかつた事業所得九九、四七四円

2  争いのある所得金額

(一)  原告は、東京都杉並区堀の内一丁目四六番地において文房具商を営んでいたところ、東京都の都市計画事業環状七号線街路築造工事のための用地買収に伴い、店舗を他に移転しなければならなくなり、これにより東京都から昭和三八年中に補償金の支払いを受けたことおよび右補償金のうち二、〇一九、〇〇〇円は、東京都が原告に対して得意喪失補償金という名目で支払つたものであることは、当事者間に争いがない。

(二)  被告は、右補償金も原告の昭和三八年分の事業所得とされるものであると主張し、原告はこれを争うので、この点について判断する。

1  いずれも成立に争いのない乙第一号証から乙第五号証までおよび乙第六号証の一から一〇までならびに証人前沢保利、同嶋津敏彦、同吉田正男および伊藤誠の各証言(ただし、後記信用しない部分を除く。)によれば、東京都は、原告が店舗を他に移転しなければならないことによつて受ける損失の補償金額を「東京都の用地取得に伴う補償等の基準を定める要綱」(昭和三六年四月一日から施行され、「東京都の事業の施行に伴う損失補償基準」の施行に伴い昭和三八年一〇月一日に廃止された東京都の内部基準)に則つて算定したこと。右要綱によれば、得意喪失補償は、営業補償中の一項目であつて、建物の移転によつて規模の縮少、得意の喪失等により営業収益が減少すると認められるときに、従前の営業期間、地理的条件等を考慮して、その直近二年度の平均年間純益額の範囲内で支払うものとされていること。東京都は、原告が店舗を他に移転しなければならないことにより、従来の得意先を喪失する結果、移転先で営業を再開しても、従来と同程度の得意先を回復するまでの間収益が減少すると認めて、これを補償するため原告に対し得意喪失補償金を支払うこととし、原告の従前の営業期間、地理的条件等を考慮して原告の営業の純利益を一か月間三三六、五〇〇円と査定したうえで、原告の業種(文房具商)を考慮してその六か月分に相当する二、〇一九、〇〇〇円をもつて右収益減に対する補償、すなわち、得意喪失補償の金額と定めたこと。原告は、伊藤誠を代理人として東京都と補償金について交渉したが、右伊藤は、東京都の都市計画事業環状七号線街路築造工事のための用地買収に伴つて他に移転しなければならなくなつた杉並区堀の内地区の住民によつて組織された東京都道路対策連盟の書記として、会員に代わつてしばしば東京都と補償金に関する交渉等を行なつていた関係上東京都の前示要綱について十分に知つていたこと。右伊藤は、東京都から原告に対する補償金額の案を提示され、これが前示要綱に則つて算定されたものであり、そのうち得意喪失補償金がおよそどの程度の金額であるかを承知のうえで、原告に東京都の提案を説明して原告を説得し、原告の納得を得て、東京都との間に、原告の店舗移転による損失補償についての合意を成立させたこと、以上の事実が認められる。証人嶋津、同吉田および同伊藤の各証言中、東京都は、原告との交渉において補償金総額を提示しただけで、その内訳は、原告との協議が調つた後に初めて開示した旨の部分は、にわかに信用することができない。

2  ところで、原告は、原告が支払いを受けた右得意喪失補償金中には、対価補償の実質を有するものが含まれていると主張する。

しかし、右主張に副う証拠として原告が援用する甲第三号証中の補償額明細の記載部分(そこには、原告が支払いを受けた補償金中 二、〇一九、〇〇〇円は店舗改造補償金である旨の記載がある。)は、その記載の体裁ならびに乙第八号証および乙第九号証(いずれも成立に争いがない。)に照らし、真正に成立したものとはにわかに断じ難い。

また、前示証人嶋津、同吉田および同伊藤の各証言によれば、東京都は、原告との補償金に関する交渉を妥結させるために、原告の営業による純収益額を実際の純収益額よりも相当過大に査定して、これを基礎として得意喪失補償金を算定したことが窺えるが、そうだからといつて、直ちに右補償金中に対価補償の実質を有するものが含まれているということはできない。

他に原告の前記主張を認めるに足りる証拠はない。

3  原告は、また、原告が支払いを受けた得意喪失補償金は、譲渡所得の基因となるべき無形固定資産の一種である「得意」の消滅につき一時に受けた収入金であると主張する。

しかしながら,原告の営業には、取扱い商品、立地条件、営業方法および収益力等に格別すぐれたものがあつたわけではなく、したがつて原告が、その有する有形の資産とは独立に取引上の評価の対象とされうるような営業権ないしのれん権を有していたものでないことは弁論の全趣旨に照らして明らかであり、東京都が原告に対して無形固定資産の消滅に対する補償として得意喪失補償金を支払つたものでないことも、前に認定した事実から明らかであるから、原告の右主張は採用し難い。

4  そうすると、原告が支払いを受けた得意喪失補償金は、店舗の移転による収益の減少に対する補償として受けたものであつて、事業所得の収入金額に代わる性質を有するものに当たり、昭和四十年法律第三三号による改正前の所得税法第一〇条第六項、旧所得税法施行規則第七条の一一第一項により、事業所得の収入金額とされるものであるというべきである。

3  原告の総所得金額

昭和三八年中において原告に他に所得がなかつたことは、当事者間に争いがないから、原告の同年分の総所得金額は、前示争いのない事業所得金額一、六六九、二〇一円と右のとおり事業所得とされるべきを得意喪失補償金二、〇一九、〇〇〇円の合計三、六八八、二〇一円となる。

三、結論

そうすると、原告の昭和三八年分の総所得金額を三、六八八、二〇一円と認定してした被告の本件処分には、原告主張の違法はない。

よつて、原告の請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用は敗訴の原告の負担として、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉山克彦 裁判官 青山正明 裁判官 石川善則)

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